伊織 椒のブログ(仮)

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サンライズフェスティバル2016『革命機ヴァルヴレイヴ』

サンライズフェスティバル2016 満天』にて8月11日に上映された『革命機ヴァルヴレイヴ』についての簡素な記録と感想です。誤った情報があれば、お知らせいただければ訂正します。 今回の上映話への感想は文字数が多いので、記事の最後に配置しました。

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上映仕様

サンライズのロゴ映像(ハロが跳ねるもの)と『サンライズフェスティバル2016 満天』のロゴが順に表示された後に、話数順に上映されました(ただし、機材トラブルによって映像が表示されない事態が発生したため、上映開始は予定より数分遅れました)。本編の仕様はソフト版と同一でしたが、各話終了時の次回予告は全て削除されていました。

以上の仕様は前回までと同様ですが、今回は音量がかなり大きかったです。爆音という形容が相応しいほどの音量でした。前回の感想で音量に言及した甲斐があったと思う一方で、今回の音量は大き過ぎるとも感じました。今回よりやや小さいくらいが適当ではないかと思います。

会場の様子

上映には前回と同じスクリーン6が使用されました。新宿ピカデリーの10種類のスクリーンの内、座席数が4番目に多いスクリーンです。今回は70%以上の座席が埋まっていたようです。お盆休みかつ祝日かつコミックマーケット90の前日という、非常に恵まれた日程も奏功したのかもしれません。

前回はあまり人気がなかった最前区画の座席ですが、今回は、団扇や垂れ幕といった応援道具を持参する情熱的なファンが最前区画に集まっていて、特に活気がある区画になっていました。

そのような様子を見て、最近流行している発声可能な上映を『ヴァルヴレイヴ』でも催していただきたいと思ったのですが、過酷な展開が続く『ヴァルヴレイヴ』はそうした上映にはあまり向かないような気もします。それでも敢えて言えば、「独立! 独立!」コールをできる第4話、『Good luck for you』を歌える第5話、サキを応援できる第6話などは、盛り上がれる可能性が充分にあると思います。私は「独立! 独立!」コールをやってみたいです。楽しそうなので。

上映後挨拶

今回は池谷プロデューサーとともに、『ヴァルヴレイヴ』の企画営業を担当した阿久津理恵氏も司会として登場しました。第4EDでは、奇遇にもエルエルフとリーゼロッテのカットにお名前がクレジットされています。

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現在の阿久津氏はバンダイナムコピクチャーズに所属されているそうです。企画初期の打ち合わせから参加されていたらしく、今回の上映を観て涙したなど、『ヴァルヴレイヴ』に対する想い入れを窺える発言もされていました。阿久津氏が司会役を務めてくださったことはとても嬉しかったです。お話をもっとお聴きしたいので、次の上映の機会があれば、また登場していただきたいです。また、上映後挨拶ではカメラマンが配置され、撮影が行われていました。

今回はTwitterで事前に2問、会場で1問の質問がそれぞれ募集され、池谷プロデューサーと阿久津氏による回答が行われました。以下は記憶に基づいた概略的記述のため、実際の発言とは趣旨が異なる可能性がありますが、ご了承ください。

質問1.今回の上映話数の選定について
回答:制作当時のスタッフが選定した。最近、『ヴァルヴレイヴ』の制作素材を移動させる必要があり、整理をしていたところ、第8話の素材を見つけた。エルエルフとリーゼロッテの場面は雪が象徴的で気に入っている。(筆者注:池谷プロデューサーはBD第10巻付属ブックレットにて、リーゼロッテと雪の関係に言及されています。また、第19話のサブタイトル『悲しみは降る雪のごとく』は、池谷プロデューサーが浜田省吾氏の楽曲から引用した原案『悲しみは雪のように』を基にして大河内一楼氏が考案したものです)

質問2.『ヴァルヴレイヴ』と実際の災害の関係について
回答:『ヴァルヴレイヴ』の企画開始は東日本大震災の直後で、地元が被害を受けたスタッフもいた。『ヴァルヴレイヴ』の内容については、子供と大人の対立という趣旨が企画初期から存在しており、過去のサンライズ作品も意識した結果、学校が方舟となる物語になった。東日本大震災の要素を作品に直接的に取り入れたかは別として、学校をかけがえのない国土とする子供達の物語には影響を与えた。(阿久津氏曰く、制作中のメモには東日本大震災に関する記述があった、とのことです)

質問3.主題歌について(会場募集分)
回答:主題歌でも何らかの驚きをもたらしたかった。OPのコラボレーションはそうした意図による。また、主題歌が挿入歌として用いられる演出には、音響監督の積極的提案によるものもあった。主題歌や挿入歌の数が多いことには”大人の事情”も関わっている。

上映話への感想

第8話『光の王女』

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劇場ならではの設備が活きる話数でもありました。まず、音響環境。冒頭の、エルエルフが囲まれている場面の音声は各人物の位置に合わせたサラウンド設定が施されているため、劇場ならではの臨場感を味わうことができました。そして、大画面。発進するヴァルヴレイヴの後ろ姿、ハルトの顔に映り込む目標表示、ヴァルヴレイヴを追う大量の電磁吸着ブーメランなど、細かい情報の視え方が通常の家庭用TVなどとは全く違いました。特に、3DCGならではの情報量が多いメカニックによるアクションは、やはり劇場上映でこそ真価を発揮すると再確認しました。

見所が多い第8話ですが、最大の見所は、やはりハルトとエルエルフの契約の成立でしょう。

「僕はみんな救ってみせる! 学校のみんなも、お前と、写真の人もだ!」
「戦争に巻き込まれても、お前の甘さは直らないようだな」
「コーヒーは砂糖入りが美味しいんだ。苦過ぎる君と合わせたら、ちょうどいい味になる! 取り引きだ、エルエルフ。勝利のために、平和のために! 2人の夢を叶えるために!」
「夢……? ふっ……、前言撤回だ」
「!?」
「お前の言う通り、犠牲者は0でいく」

”ちょうどいい味”も、第1話のエルエルフのハムエッグへの言及も、それぞれの主観的価値観に基づいた発言に過ぎません。完熟のハムエッグなら半分こにできますし、素のコーヒーの苦味こそをちょうどいいと感じる人もいるでしょう。そのような各々の固有の価値観が集まって形成されている混沌こそが世界の構造である、という『ヴァルヴレイヴ』の世界観が、このやり取りによって端的に象徴されていて素晴らしいです。各々に”ちょうどいい味”があり、それらは他者の同意を得られるとは限らないのです。

また、第8話ではサトミの行動の変化も象徴的です。一度は法律や理屈でライゾウを制止したサトミが、追いつめられた際に銃を取る様子は、”譲れないなら戦うしかない”という『ヴァルヴレイヴ』の世界観の一端です。これは、第1話のエルエルフの台詞はもちろん、〈ハラキリブレード〉を始めとする自傷行為を模した各種機構や、第8話において行われたモジュールを敢えて破壊する作戦によっても示されている世界観です。ただし、前例や有力者の判断(この場合は、ショーコが行った人質を用いての交渉)を極力踏襲するサトミの堅実な性格は、最後まで変わることがありませんでした。それもまた、サトミにとっては譲れないことだったのでしょう。生真面目かつ行動力がある連坊小路サトミが、私はとても好きです。

第18話『父の願い』

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「安全な場所など、どこにもありません」

冒頭から核心的な台詞が発される話数です。エルエルフとリーゼロッテの関係が示されている話数としては、エルエルフの新たな決意が示される第22話『月面の拳』も有力だと思うのですが、今回の選定では、やはり2人の直接のやり取りが重視されたのでしょう。エルエルフとリーゼロッテが時間を共有した全ての機会が、たったの3本で抑えられてしまう事実からも、2人の関係の儚さを感じます。

第18話はアクションなどが少ないため画的には地味な話数ですが、関俊彦氏が演じる時縞ソウイチがとても好きなので、劇場で観られてとても嬉しかったです。時縞博士は目的のためには非人道的な手段を忌避しない人物ですが、息子に対しては確かな想いがあります。ただし、それがハルトが望む類のものであったかは、また別の問題なのですが。この2人もまた、悪意ではなく価値観の相違による対立関係にあります。

「安心しろハルト、お前は科学の力で祝福を受けた特別な存在だ。ドルシア軍だって無碍にはしない」
「祝福? こんなの呪いじゃないか! 記憶を失い、心を失い、人を食らって生きていくなんて!」
「第2霊長類は食物連鎖の頂点にいる。人間が魚や豚を食べるくらい、そんなの当然のことだ」

このやり取りは特に象徴的です。同じものが解釈次第で”祝福”にも”呪い”にもなる世界観は、作中で幾度も示されます。そして、その内の1つに第22話の冒頭があるので、やはり第22話も併せて観たかったです。

第19話『悲しみは降る雪のごとく』

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エルエルフの動向を決定する重要な内容のためか、作画なども注力されていて観応えがあります。そのためか、『サンライズフェスティバル』では定番と化している話数です。挿入歌『僕じゃない』の扱いも秀逸で、切ない結末も含め、とても好きな話数で、特に多く観直しています。

「ミハエルは、愛していると言ってくれました。でも、私はマギウス。人間と一緒には行けません」
「! ……そ、それじゃ駄目だ! 勝手にそんな風に決めつけないで! エルエルフは、そんなこと望んでないし、あいつなら、あなたも自分もきっと幸せにできる! 凄い奴なんだ! ムカつくくらいに頭が良くて冷静で! だから!」
「ミハエルは幸せね。いいお友達ができて」

マギウス類はジャック先の身体のエピソード記憶を参照できず、しかし、手続き記憶は参照できるという仕組みは、第2話から示唆され続けてきました。そして、第7話でハルトにジャックされたエルエルフの身体が流した涙から、エルエルフのリーゼロッテへの想いは手続き記憶と化すほどに強いものであるとわかります。この場面のハルトはエルエルフの意志を断定調で語りますが、軽率な決め付けでは決してなく、エルエルフの想いの強さを、文字通り身を以て知っているからこそ言えた、関係の結実による言葉なのでしょう。エルエルフもリーゼロッテをハルトに託していますし、ハルトとエルエルフの信頼関係はこの話数の時点で完成されていたのだと思います。

「エルエルフ! 流石だよ、君は」
「でも、ミハエルはどうするのでしょう?」

ここは地味な場面なのですが、各々の認識の違いが呼称に表れていることが『ヴァルヴレイヴ』らしく、とても好きです。ハルトにとってのエルエルフはいつまでも”エルエルフ”なのですね。

第24話『未来への革命』

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最終話も『サンライズフェスティバル』の定番と化しています。作品の様々な要素が詰まっているので、私はシリーズ中でもこの話数を最も多く観直しています。

「カイン、ピノがいる!」
「プルー、今こそ約束を果たそう」

カインとプルーの関係は”約束”によるもので、つまりハルトとエルエルフと同類のものです。最期にはプルーを解放するのですから、徹底した人物でした。

「たった今入りました情報によると、先ほどの映像は、危険生物7号による改変映像だということです」
「あの学生、いや、化けもの達の策略ってことですか?」

”危険生物7号”、”学生”、”化けもの”。同じ対象を示す別々の呼称が一瞬で3つも繰り出される、『ヴァルヴレイヴ』の極致のような場面です。これらに加えて”カミツキ”や”第2霊長類”などの呼称まで存在するのですから、見事なものです。

「まだだ、出し惜しんでる場合じゃない! まだだ、まだ!」

第8話にてモジュールに穴を開けるために使われた高出力攻撃が、ダーインスレイヴに対して用いられます。第8話からあまり時間が経たない内に観ると感慨深い場面です。ダーインスレイヴにはあまり効きませんでしたが。また、第8話にてヴァルヴレイヴの弱点が熱であることを看破していたイクスアインが、最期に偶然ながらもヴァルヴレイヴを冷却するという結末も好きです。

「さっすがアードライ。強いなあ……」
「クーフィア……」
「やっぱ最高だよ……、かっこいい……」

第24話では隠され続けていたクーフィアの表情が、最期にようやく明かされます。表情が隠されている場面のクーフィアの想いを読み解こうとするだけでも、大変な観応えがある作品です。

「君は何もわかっていない。我ら101人評議会は、悪の秘密結社ではない。世界の平和を守る、正義の味方なのだ !」
「評議会が正義だって!?」
「そもそも戦いを仕掛けてきたのは人間の方だ!」

”悪の秘密結社”や”正義の味方”という表現は、カインよりも遥かに若輩のハルトに対する、カインなりの配慮なのではないかと思います。カインがこのような表現をすることが面白くて、観る度に笑う場面でもあります。ただし、評議会が正義で咲森学園の学生達が悪だという認識自体は、カインの揺るぎない本心なのでしょう。そして、「そもそも戦いを仕掛けてきたのは人間の方だ!」の箇所で強い感情が表れていることは、カインの人物像と価値観を考えるにあたって極めて重要な要素だと思います。ちなみに、このやり取りの後のハルトの「そんな理屈!」という台詞は、『機動戦士ガンダム』の終盤でも用いられています。『ヴァルヴレイヴ』は様々な作品からのオマージュらしき要素が豊富なので、この台詞もオマージュだと想像しています。

「私達、これで良かったのかな……」
「見たでしょう!? 時縞ハルトが死なないところを!」
「見たよ……、でも、イオリのお父さんを殺したところは見てない」

最終話でも特に好きなやり取りです。人間は、断片的な情報の空隙を無意識の内にモンタージュ的に補完して、誤った認識に至ってしまうことが多々あります。恐ろしいことです。

「我々は歴史と共に歩み、傷付き、そして悟った。争いの生まれないシステムとは、別々に暮らすことだ」
「!」
「そろそろ終わりにしよう! 君達を抹消して、平和を取り戻す! 来るんだ、ピノ!」
「違う!」
「何だ!?」
「あなた達も人間と一緒に暮らそうと思ってた。でも、傷付いたから諦めた。互いが傷付かないよう、嘘の壁を作った! あいつは、僕の友達は、自分を照らしてくれた光を失っても、彼女の夢を果たすために立ち上がった! 僕が大好きな女の子は、お父さんを失っても、それでも総理大臣であろうと頑張ってた!」
「パワーが、上がっている……?」
「傷付いても傷付いても諦めなかったみんなのために、あなたには負けられない!」

遂に、言葉にする度に消えていく記憶。凄絶です。101人評議会については、問題はあくまでシステムに組み込まれている嘘であり、争いを避けるために別々に暮らそうとすること自体は決して誤りではないと思います。観る度にカインに同情してしまいます。

「最初から諦めた、閉じた未来なんて僕は欲しくない! だって! みんな諦めてなかった! だから僕も!」
「歴史を知らぬ小僧が!」
「やってみせる! うおおおおおお!」

101人評議会のシステムと同じく、カインの価値観もまた、マギウスの歴史に影響されながら長い時間をかけて形成されたものなのでしょう。それらが、若者の偽らざる感情と、最新鋭かつ捨て身の暴力によって否定されてしまう結末は、希望でもあり恐怖でもある素晴らしいものだと思います。そして、1号機が最後に用いた武器はジー・エッジでした。そもそも、ヴァルヴレイヴの企画初期の名称は〈ダインスレイヴ〉で、ハラキリブレードの原型となった必殺技の案も、物語の進行に合わせて刃が洗練されていくものでした(出典:CGWORLD183号)。したがって、剣との縁が強いヴァルヴレイヴの最後の武器がルーンを纏わせた刀であったことには、否が応でも納得させられます。秘密を隠していた敵に対する最後の攻撃が透明の刀で行われることも象徴的で、メカニックアクションものとしても秀逸な作品だと思います。

そして、200年後。ヴァルヴレイヴを破壊するというハルトの願いは叶いませんでした。そして、ヴァルヴレイヴの扱われ方、ヴァルヴレイヴを有する組織、ヴァルヴレイヴとともに生きる人達の、それぞれの在り方は明らかに変わっています。カミツキ達の正体や状態については謎が多いので言及しませんが、やはり、ハルトの理想通りになったことの方が少ないのではないでしょうか。それでも、他者へ理想を示すことは決して無駄ではなく、他者によって歪められてしまうとしても、何らかのかたちで理想が叶うかもしれない、という希望が提示されている作品だと思います。”ニンゲンシンジマスカ?”というメッセージからは様々な意味を見出だせますが、やはり、自らの夢を共有したり遺したりできる他者の存在を問うものでもあるのでしょう。

 

 

当記事における、引用元を個別に記述していない引用情報の出典:『革命機ヴァルヴレイヴ』© SUNRISE/VVV Committee, MBS