伊織 椒のブログ(仮)

日々の生活、喜びと悲しみ、特別な出会い、ちょっとした考えや思いつきを書き残すもの。

2016年の終わりに速水奏を顧みる

暦による区切りに大した意味は無いと常々考えているのですが、それにしても2016年は速水奏にとって決定的な1年だったと感じます。そして、その2016年が終わる今は、速水奏について改めて顧みるに相応しい時でしょう。(2018年2月16日追記:『アイドルマスターシンデレラガールズ』(アニメ版)第26話および、記事冒頭の画像の掲載意図について、補足的な加筆修正を行いました

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基本情報

ショートカットとセンターパートの組み合わせは誤魔化しが効かないため、容貌に自信が無い場合は避けられがちな髪型かと思います。奏の場合は自信があっての選択なのでしょう。

奏の髪は描写の難所です。デザイン自体が繊細かつ微妙なことに加え、公式作品のイラストにおける解釈や描写が未だに安定していないため、最大公約数的な解釈を導き出すことが難しい状況が続いていると思います。ちなみに、私のイメージに近い描写がされているイラストは、[ハッピーバレンタイン]/[スマイルバレンタイン]特訓後、[追憶のヴァニタス]特訓後、[カタルシスの華]特訓前の3種類です。奏の髪の描写においては、頭部全体のシルエット、顔周りの髪のラインの流麗さ、しなやかな髪を入念にスタイリングした結果のような質感、柔らかさとランダム感のバランスなどが重要だと私は考えています。

主な特徴として、色が薄めの肌、不自然にならない程度の太さと濃さがある眉、通った鼻筋、艷やかで量感がある睫毛、イエロー系の瞳、肉感がありつつも引き締まった印象を受ける微妙な造形の唇(唇の肉感が特徴的な相川千夏などと比べると控えめ)などの要素があります。女性的な記号として用いられる要素が多いと思うのですが、顔立ちの総合的な印象は中性的で、それは神秘的な雰囲気の演出にも貢献していると感じます。

また、様々な表情をした場合の眉毛の動きがあまり大きくないことも特徴なのですが、『スターライトステージ』の3DCGモデルでは眉毛がかなり大きく動きます。3DCGモデル特有の表情については、イラストでは表現されない情報として歓迎するのが私の基本的な立場です。ただし、現行モデルの表情は奏らしい繊細さを著しく欠いていると感じます。ちなみに、現在の奏の3DCGモデルは、リリース時点から存在したモデルのサイズなどが僅かに調整されただけのもので、髪の質感や目を閉じた際の描写などの仕様が現在のモデルの基本仕様に準拠していません。同様の仕様だったモデルが改修された事例が存在するため、奏のモデルも今後改修されるはずです。欠点は特定部位に限られたことではなく、現在実装状態にある他のモデルと比べると総合的な質が特に低い部類だと感じるので、新造級の徹底的な改修に期待しています。

(2017年5月19日追記:2017年3月28日に、[エンド・オブ・ザ・ブルー]実装に伴って3DCGモデルが更新されました。全体的な造形や目閉じ表情における睫毛の表現が自然になり、より好ましいものになりました。しかし、学生服を着ていてもOLと誤認されるほどの大人っぽさとは感じられない幼い雰囲気の顔立ち、旧来のモデル以上に陳腐な印象を受ける吊り眉表情、イラストでの表現と比べると鋭角的過ぎて不自然なインテークの頂点など、満足できない要素が多々あることも確かです)

体型

イラストでの描かれ方およびプロフィールの数値から判断すると、基本的には細身でありながら、バストなどはかなり豊かなようで、『シンデレラガールズ』においても特に端整な部類の体型だと考えられます。年齢や身長が近い鷺沢文香塩見周子新田美波十時愛梨などのアイドルと比較すると、体型の特徴が相対的に明確になります。

サイン

「はやみかなで」のそれぞれの文字を組み合わせたパズルのようなデザインは読解を要求するもので、奏の在り方を体現しています。濁点を”X(kiss)”とする工夫や、ひらがなが演出するしなやかな雰囲気も秀逸です。『シンデレラガールズ』のアイドルのサインの中でも特に情報量が多い傑作だと思います。

個別情報(時系列順)

速水奏Mobage版)

以下、カード名が〈速水奏〉であるカードを”基本カード”と呼称します。

Mobage版における描写の総合的傾向として、アイドル活動の詳細や複数のアイドル間の関係などよりも、アイドルとプロデューサーの関係に比重が置かれている印象があります。当該カードはその傾向が顕著で、この時点の奏はプレイヤーの恋愛対象的存在としての性質が強く、アイドルとしての在り方はまだ明確ではなかったと思います。

基本的には優等生らしいこと、プロデューサーを翻弄する言動を繰り返すこと、繊細な心情を示唆する場合があることなど、現在まで継承されている基本的性質のいくつかは、この時点で既に示されています。しかし情報量が少なく、第三者による言及も存在しないため、当該カードだけを材料に奏の人物像を判断することは困難でしょう。

また、現在の奏の特徴的な諸要素の内、知性や世界観を示す言動、詩的な表現、神話や哲学などからの引用などは極めて重要だと私は考えていますが、それらの特徴は、後発の情報による強調もしくは追加によって成立しているものだと思います。この時点ではそれらの特徴が乏しいため、今改めて確認すると、現在の奏とはかなり異なる印象を受けます。

[ハッピーバレンタイン]/[スマイルバレンタイン]/『アイドルプロデュース バレンタイン編』

『アイドルプロデュース バレンタイン編』は、多量の情報によって奏の人物像が明確になった機会でした。当時の私は、奏の詩的な発言や、時折示唆される繊細な心情を気に入っていた一方で、アイドル活動への言及の少なさから、アイドルとしての魅力はあまり見出せずにいました。約4年が経過した今改めて確認すると、やはり現在の奏とは異なる印象を受けます。

当該イベントにて示された情報の内、小松伊吹による奏への言及は特に重要でしょう。奏は基本カードにて高い自己評価を示唆する発言を行っていましたが、それらは自称でしかなかったため、大言壮語の可能性がありました。しかし、ダンスを得意とする伊吹が「奏にダンス教えたら覚え早くってさ。こりゃ負けられないよ!」と評したことで、奏の実力や才能の程度が示され、人物像が明確になりました。

当該イベントおよび関連カードにて行われた、チョコレートにちなんだ比喩や引用は、現在まで続く奏の言語表現の傾向の原点かと思います。一方、女性語の徹底度は現在よりも低いですし(あくまで徹底度の高低の問題です。丁寧な女性語を徹底しないことは奏の口調の特徴です)、時折プロデューサーへの態度が過剰に尊大になること(例:”白状しなさいよ”、”褒めてあげる”など)も独特で、現在の人物像と比べると違和感があります。ちなみに、”白状”という言葉は『スターライトステージ』における[あいくるしい]特訓前の親愛度MAX到達時演出にて再び用いられていますが、こちらでは「どんな私が見たいか白状して?」という、より対等的な表現となっています。

シンデレラガールズ劇場』第77話

当該話数公開以降に〈優等生〉や〈秘密〉という要素が徐々に強調および追加された結果、現在の奏は人物像がより慎重かつ繊細に変化しており、当該話数のような、第三者の観測下における明示的な挑発および誘惑は避けるようになった印象があります(例:『スターライトステージ』におけるイベントコミュ『Tulip』)。この辺りの時期の奏はかなり軽薄だったと思います。

[蒼翼の乙女](Mobage版)

特訓前のイラストは貴重な角度ですが、他のカードなどとはデザインの解釈に差があるため、安易には参考にできないと思います。特訓後の衣装はアニメ版や『神撃のバハムート』にも登場しており、名実ともに奏の代表的な姿と言えるでしょう。

特訓前親愛度MAX演出では「そう…アイドルの私でも、素顔の私であっても、今はどちらも私自身…。もしプロデューサーさんが求めるのなら、私は、あなたと…」と述べて”アイドルの私”と”素顔の私”は断絶していないことを示しており、特訓後の各種発言はアイドルとしての在り方の理想や向上心を示すものと解釈できます。当該カードによって従来よりも軽薄さが弱まるとともに、アイドルとしての存在感が強化されたと思います。

シンデレラガールズ劇場』第96話

シンデレラガールズ』シリーズのゲーム作品においてユーザーはプロデューサーという役割を与えられますが、作中のアイドルのプロデュースを行うのはあくまで作中のプロデューサーです。したがって、プロデューサーとアイドル活動の動機の関係が強いほど、作中のプロデューサーの人物像の想定の重要度も高まります。そして私が想定している奏のプロデューサーは、奏の指示に従う当該話数のプロデューサーのような律儀さがある人物です。

[夜色の花嫁]

〈夜〉、〈月〉、〈秘密〉、そして北条加蓮との関係といった、現在の奏には欠かせない要素が初めて本格的に提示された機会でした。奏の賢明さや慎重さが強調された結果、プロデューサーとの関係の背徳感も高まったと思います。これは一般論ですが、理性的判断を欠いた野放図な振る舞いよりも、理性的判断を経た後に敢えて選ばれる背徳的行為の方が重大かつ魅力的であると私は考えています。

シンデレラガールズ劇場』第186話

「お仕事だもの でも貴方にも そうね―― タキシードでも着てもらって エスコートしてもらおうかしら?」は単なる翻弄ではなく、アイドルとしての自分を導いてほしいという意思の暗喩でもあると解釈しています。

シンデレラガールズ劇場』第187話

ロマンティックな展開を内心でどう思っているのかはわかりませんが、表面的には「ふぅん… 都合がいいわねぇ…」と反応することに奏の性格が表れていると思います。

[チアリングスター]

「えっ…プロデューサーさん? ど、どうして更衣室に…。…ふーん、こういうことするんだ。なーんてね♪顔を見れば、わざとじゃないってわかるよ。…で、この後どうする? 私、着替えてもいーい?」と、想定外の出来事に動揺するものの、そのまま駆け引きを仕掛けることができる奏の度胸や意思の強さに魅力を感じます。

シンデレラガールズ劇場』第260話

奏の面倒見のよさが具体的に示された最初の機会だと思います。些細な内容ですが、現在の奏の原点の1つでもありましょう。

[追憶のヴァニタス]

シンデレラガールズ』シリーズにおいて、各人物がアイドルになるより前の在り方はとても重要です。作品内外のプロデューサーの采配やユーザーの解釈によって発生する揺らぎが、アイドルになった後よりも少ないため、解釈の基盤として特別な価値を有します。そして当該カードは、過去、悲しみ、寂寥、愁い、空虚といった要素への本格的な言及が初めて行われた機会であり、奏の人物像の決定的転換点だと考えています。

ただし、あくまで希望的かつ建設的な在り方が示されていることもまた特徴です(これは『シンデレラガールズ』シリーズの全体の基本仕様でもあると思います)。カードの名称こそ[追憶のヴァニタス]ですが、バロック期の象徴的概念(Vanitas、Memento mori、Carpe diem)の内、Vanitasはあくまで奏の過去と記憶に関わっているものであり、過去の空虚さや現在の儚さを認めるが故に今日の熱狂の追求を選ぶ、アイドルとしての奏の在り方は、Carpe diemに最も近いものだと思います。

特訓前後ともにイラストがとても好きなので、グッズなどの素材として活用されることに期待しています。

シンデレラガールズ劇場』第380話

奏とプロデューサーの相棒のような熟れた雰囲気が好きな話数です。私も、これからの奏の未知の活躍を見届けたいと思います。

ぷちデレラ(Mobage版)

多量の情報によって現在の奏の在り方の基礎が完成した機会だと思います。新規性が高い情報の内、誰にでもキスをねだる人物ではないと自称する『ステップアップエピソード1』、歌の趣味を語る『Voレッスンエピソード2』、努力する様子は誰にも見られたくないという価値観を示す『Daレッスンエピソード2』は、奏の人物像を考えるにあたって特に重要だと考えています。

ボイス決定

ボイス決定当初の飯田友子氏の演技にはとても強い違和感があり、後の展開を不安に思っていました。特に、滑舌の甘さや、発声が過剰に強張っている感じ、あるいはざらついている感じは、大人っぽさ、器用さ、余裕の演出、そしてキスという要素が重要になる奏の人物像の表現においては致命的な難だったと思います。唇や舌の操作の巧妙さをある程度想像させられる喋り方でなければ、奏の表面的な妖しさは充分に演出され得ないでしょう。

しかし、飯田氏の技巧は収録の度に確実に高まり続けています。また、これは恐らく制作に関わる複数の人々の解釈の変化の結果でもあるのでしょうが、声で表現される気品、余裕、しなやかさといった要素が徐々に強調されつつあるとも感じます。台詞の違和感は、[あいくるしい]や[追憶のヴァニタス]の時点ではほぼ無くなり、美しいと感じられるものになりました。私が想像する奏の在り方に近付いていることを、とても嬉しく思っています。歌唱については、『Tulip』や『咲いてJewel』などの比較的新しい音源でも未だに声や表現が強張っていると感じるので、艷やかさ、滑らかさ、余裕などの表現がより豊かになれば奏らしさが増すと考えていますが、『あいくるしい』の僅かなソロパートから判断する限りでは、こちらも徐々に解決されつつある問題かと思います。

ただし、『スターライトステージ』の共通ボイスやメモリアルコミュなどの、再生される機会が多い音声や、Mobage版の『ぷちエピソード』などの人物像の基礎になるような媒体については、不特定多数のユーザーによる奏への興味や好意にとても強く関わるものなので、再収録が実現することを願っています。

Hotel Moonside』

詞も曲も『シンデレラガールズ』シリーズを代表できる質の稀有な傑作であり、この楽曲が無ければ今の奏の立場は在り得なかったと思います。

楽曲の趣旨については、[夜色の花嫁]で提示された〈月〉という要素を用いた幻想的な詞をいわゆるEDMに合わせることで、奏の多彩な姿を極力広く表現しようとする意図があったものと推察しています。特に詞は、〈月〉、〈夜〉、〈流れ星〉、そして『Hotel California』へのオマージュと思しき要素を活かして奏のアイドルとしてを在り方を表現しつつ、巧みな言葉選びや押韻で音としても端整に仕上がっている極めて巧妙なものです。MC TC氏の高い作詞能力が存分に発揮されていると思います。

『ドラマ「目指せ!シンデレラNO.1! -速水奏編-」』

[チアリングスター]で示されたような、想定外の状況においても駆け引きを仕掛ける意思の強さや在り方へこだわりが奏の特徴的な魅力だと考えているので、奏が想定外の状況に動揺したまま去ってしまうこの作品は好きではありません。”デビュー特別企画”という状況から、経験が不足した状態の奏だと解釈することは可能かもしれませんが、奏の特徴的な魅力が充分に表れているとは到底思えません。

[CDデビュー]

「CDデビューなんて。真面目だったのに、学校でお仕事がバレちゃう」という発言はアイドルになる前の在り方を示唆するもので、奏の人物像を考えるにあたって重要な情報だと思います。

シンデレラガールズ劇場』第456話

奏が仁奈の観察を”意外”と評する理由が明示されないことで様々な可能性が守られている慎重な構成が巧いです。

[ミッドナイトレイヴ]

シンデレラガールズ』シリーズにてしばしば登場する旧いカードの発展版です。17歳ながらもプロデューサーを翻弄する大人びたアイドルという基本的性質を、『Hotel Moonside』の要素を用いつつ再提示したカードです。

後に『スターライトステージ』にてしばしば比喩の材料として扱われることになるコーヒーへの言及は、当該カードが初めてかと思います。

シンデレラガールズ劇場』第472話

奏の心情の変化が台詞では表現されていないので様々な想像が可能です。奏はユーザーに想像と解釈をとことん要求する人物だと思います。

[セレクテッド]

奏がアイドル活動に真摯に取り組む様子が示されているため、とても好きなカードです。「アイドルはお仕事をしてこそのアイドルでしょ? 飾り物にしないでね」という発言は特に象徴的です。『シンデレラガールズ』の基本的目標がアイドルを育てることである限り、アイドルとしての在りとは充分に提示される必要があるのですが、Mobage版において提示される情報はアイドルとプロデューサーの恋愛に近い関係を示すものに偏りがちで、特に奏の場合は、アイドルとしての在り方や意志がやや示されづらい傾向があったと思います。

当該カードにて提示された〈”いつかくる日のため”の研鑽〉は、奏の人物像を推察するにあたってとても重要になる要素だと思います。アイドルになる前の奏が優等生的な生き方を選んでいたことも、アイドルになってから美しい在り方に執着することも、”いつかくる日”への情熱的かつ夢想的な期待の結果だと解釈すると合理的です。私は奏を、優れた知性と確かな能力を備えつつ、浪漫が強い動機となっている人物だと解釈しています。

シンデレラガールズ劇場』第560話

恒常ガチャから出現する低レアリティカードである[セレクテッド]によって奏の存在を知るユーザーは一定数発生するはずですが、[セレクテッド]では奏の年齢や、高校生であることについての言及がされません。[セレクテッド]によって新たに奏を知ったユーザーに年齢関係の情報を示す方法として、『劇場』による補完が選ばれた結果が当該話数なのだろうと推察しています。

アイドルマスターシンデレラガールズ』(アニメ版)

アニメ版はあくまでシンデレラプロジェクトの14人が主役の物語なので、脇役であるProject:Kroneには尺やリソースを割きづらい事情があったことかと思います。ただし、奏はその代表格で、シンデレラプロジェクト兼任組およびTriad Primusを除けば唯一楽曲付きのライヴ描写があったため、特に優遇されていたメンバーです。作画における解釈が安定しなかったことは惜しかったのですが、限られたリソースが奏に割かれても作品全体の完成度にはあまり貢献しなかったと思うので納得しています。

Kroneの代表格とは、すなわち美城が志向するアイドルの在り方を代表する存在です。私は奏のアイドルとしての在り方を、あまり俗っぽくない、スター性が強いものだと想定しているので、Project:Kroneの代表格への選出は理想の実現であり、筆舌に尽くし難い幸せでした。ちなみに私は美城という人物がとても好きです。アニメ版については、悪意との対立ではなく、あくまで異なる理想や異なる願いが成す平行線的状況についての物語に終始したことが美点であり、それは『シンデレラガールズ』シリーズの多様な楽しみ方を肯定するメタ的なメッセージだと考えています。したがって、その構造を成立させる象徴的存在であった美城への好意は必然的です。アニメ版における、アイドルを含む全ての登場人物の中でも最も好きかもしれません。

ソフト特典の第26話における奏は、台詞こそ無いものの、シリーズ全体を通しても特に上質な作画のアップカットと、動作に注力されたアクションカットの両方を与えられており、本編における奏の描写の難点の内の1つだった作画について、挽回が成されたと思います。当該記事の冒頭の画像は、2016年末までの奏の描写から、最も美しいと感じた当該話数のアップカットを、私の印象と理想の象徴として掲載したものです。

『マジックアワー』

Project:Krone始動後のパーソナリティに任命されていることから、奏はKroneの代表格であると推察できます。アイドルの仕事そのものが示された貴重な機会でもあります。奏は仕事では自らの心情を曝すような言動は避けると想像していたので、心情の示唆らしき発言を行っていたことが意外でした。『シンデレラガールズ』シリーズにおいては『スターライトステージ』始動後も、アイドルの仕事そのものが示される『マジックアワー』のような機会は稀なままなので、今後の新展開に期待しています。

『#22 NO MAKE』

”お医者様”という言葉遣いに奏の為人が表れていると思います。私は奏の気品が好きです。

『Challenges To Change』

「星達が夜空に紡ぐ物語」という詩的かつリズミカルな表現を繰り出す奏が好きです。

『スターライトステージ』

『スターライトステージ』は奏が最も輝いている媒体だと思います。

リズムゲームである『スターライトステージ』において、楽曲、ゲーム譜面、MVなどに恵まれていることは決定的な強みです。奏の歌唱楽曲の内、『Hotel Moonside』、『Tulip』、『咲いてJewel』はいずれも『ファミ通』によるアンケートの様々な部門にて好評を博していますし、私の個人的感想としても秀逸な楽曲およびMVが多いと感じています。

繊細かつ詩的な性格が物語において活きやすいためか、コミュにおける出番にも恵まれている印象があります。登場回数の多寡で単純に判断しても、やはりコミュではかなり活躍している部類に入ると思います。

ただし、現在の奏は共通ボイスと3DCGモデルの古さによって損をしているとも思います。

ボイスについては、共通ボイス、メモリアルコミュの序盤の話数、基本カードなどが該当します。共通ボイスは今後永久に流用され続けるであろうものですし、メモリアルコミュ第1話などは人物像の基本を提示する極めて重要な媒体です。アイドルの総数が膨大な『シンデレラガールズ』シリーズにおける第一印象の重要性を考慮しても、初期音声の再収録には充分な価値があると思います。『シンデレラガールズ』シリーズにおいては、テキストに不備があった場合などの特殊な例を除けば、音声の再収録は行われないのが通例ですが、奏のボイスについては初期のものと現在のものの差があまりにも大きいので、いつか再収録が実現することを願っています。

モデルについては、現行モデルの古さも問題なのですが、そもそもイラスト群における解釈と描写が安定していないため、最大公約数的なモデルが成立し難いという重大な問題があります。私は以前運営に改修要望を送ったのですが、その際も、意見の根拠の提示に苦労しました。解釈と表現の方向性については短期的解決は不可能かと思いますが、せめて蓄積されたモデル制作技術が活かされた高品質なモデルに改修されることを願っています。

(2017年5月19日追記:2017年3月28日に、[エンド・オブ・ザ・ブルー]実装に伴って3DCGモデルが更新されました。感想は先述した通りです)

速水奏(『スターライトステージ』)

『スターライトステージ』においては、従来の情報を活かして奏の人物像が再構成されています。当然、基本カードも例外ではありません。カードを入手したユーザーが最初に確認することになるプロフィール画面の発言から、過去や情念を示唆する言葉選びによってアイドル活動の目的が語られており、Mobage版の基本カードにおけるアイドルコメントとは性質が異なっています。Mobage版における[追憶のヴァニタス]やぷちデレラなどで提示された要素が基本カードにて示されたことで、奏の人物像は本格的な更新を遂げたと考えています。

「髪型?ロングだったころもあったけど…昔の話かな」や、「任せて。髪のセットはばっちりよ。髪は女の命って言うでしょ」といった髪への自己言及は貴重な情報です。奏の髪型はほぼ一定ですが、やはりこだわりの結果なのだろうと思います。

メモリアルコミュ1

「高校生活なんて、しょせん全部遊びなの? だとしたら…… 私って、なんなのかしら」という発言や、プロデューサーが示す本気に対する反応によって、奏が優等生であることや、遊びではない本気のものを求めていることを推察できます。また、「フフ、こうなったら、ヤケね。今日の私、おかしいから。そんなに誘いたいなら……。いま、この場で、キス…… してくれる?してくれたら、なってもいいよ。どう? あなたにできる? ……なんてね。」という経緯からは、キスの要求は奏にとって異常な行為であると判断できます。このコミュは、奏の人物像を考えるにあたっては不可欠な、極めて重要な情報だと思います。

過去を明示しないことは奏の人物像の成立に不可欠な条件だと考えている私にとっては、アイドルになる前の奏についての、プロデューサーおよびユーザーが知り得る限界の情報が提示されている当該コミュは特別なものです。

1コマ劇場

奏の大人びた雰囲気の程度について言及される貴重な機会です。学校の制服を着ていてもOLと誤認されるのですから、奏の雰囲気は中途半端な領域ではないのでしょう。

ストーリーコミュ第14話 『Naked Venus』

奏は美波のステージを「あなたらしい凜々しさも柔らかさもあって、いいステージだったじゃない」と評しますが、これは後のストーリーコミュ第25話にも通じていて、奏がアイドル仲間の個性を尊重していることを推察できます。また、”演出家”という奏の自称は的確だと思います。

[蒼翼の乙女](『スターライトステージ』)

「アイドルって、仮面をかぶってるようなものよね。外向きの私と内向きの私と。でもそれは… あくまで花びらの裏表だから。どっちも本物の私。弱いから、強がる。そういうものでしょ」という発言は奏の在り方を端的に示していると思います。

メモリアルコミュ2

才能や能力があっても、自らの在り方や目的は自動的には定まりません。メタ的には、才能に恵まれているからこそ普遍的な問題、あるいは人間の宿命を示すことに長けているのが奏であり、それもまた偶像としての資質、才能だと思います。

ストーリーコミュ第16話 『Alone,But Not Lonely』

ストーリーコミュ第14話と同様に、奏のアイドル仲間への思慮が示されます。『スターライトステージ』におけるアイドル間の関係の豊富な描写によって、奏の思慮深さ、あるいは優しさが明確になったことを嬉しく思っています。

Hotel Moonside(Extended Live Version)』

とても嬉しいクリスマスプレゼントでした。時計の音から始まる通常版の構成も象徴的で趣深いのですが、期待や高揚を煽られる追加イントロも好きです。『スターライトステージ』に『Hotel Moonside』が実装された際などに配信サイト内のランキング順位が上がっていたので、配信販売ならではの宣伝効果も大いに発揮されているのでしょう。4thLIVEのような複数人の歌唱による『Hotel Moonside』もいつか音源化されることを願っています。

メモリアルコミュ3

当該コミュにおける「写真ねぇ。普段はあまり撮らないわ。だって見返すと、むなしくなるんだもの。過去は過去だし。過ぎた季節は、取り戻せないでしょ」という発言は、[追憶のヴァニタス]における発言「花の命はいつか散るもの…さればこそ、今を生きよと告げるのね。そう…私も撮られるのは好きよ。美しさがうつろいゆくものなら、留めておきたいのは人の願いじゃない。貴方もそうでしょ?」の前段階のようなものだと解釈しています。当該コミュのような、アイドルになる前の段階では、奏は自らの過去に美しさや愛しさを見い出せなかったのでしょう。奏が[追憶のヴァニタス]のような境地に至るためには、相応の経験が必要なのだと思います。

[エンドレスナイト]

恋愛映画を苦手としていた奏が、遂にプロデューサーと恋愛映画鑑賞へ赴くという状況は、特別なレアリティであるSSRに相応しいと思います。

「あ、カン違いしないでね。あなたの立場を危うくする気はないの。私が行きたいのは……。夜空の彼方にある、
月の裏側を見られるホテルよ。秘めた想いが、新しい魅力となって広がる…… そんな場所。さぁ、迷い込みましょう。夜の世界、私のステージへ」という発言は、奏のプロデューサーへの感情と、アイドルとしての誠実な在り方の両立の明示であり、奏の人物像、あるいは魅力がわかりやすくなったと感じます。

基本カードの特訓後衣装の紋章が再び用いられていますが、何を象っているのかが私には未だにわかりません。ご存知の方がいらっしゃればご教授を願います。

『Tulip』

洒脱かつ扇情的なリズム隊と、覚えやすくて秀逸な詞。『スターライトステージ』発の楽曲としては最強級のキラーチューンだと思います。『Hotel Moonside』に続き、奏は凄まじい楽曲を与えられました。

私は森由里子氏の詞が好きなので、奏が率いるユニットの詞を森氏に創っていただけたことへの感激は筆舌に尽くし難いものです。森氏の詞は、覚えやすいキラーフレーズ、音の美しさ、物語としての面白さ、文字表記での遊びといった様々な要素を兼ね備えた傑作揃いで、アニメ版の主題歌が森氏による作詞でなければ私は『シンデレラガールズ』シリーズにここまで傾倒していなかっただろう、とすら思っています。もちろん『Tulip』も例外ではありません。わかりやすかったり扇情的だったりするけれど気品がある微妙なバランスが見事です。

〈LiPPS〉を端的に形容するならば”小悪魔系ユニット”といったところかと思います。このような、何らかの共通要素を有するメンバーによって構成されるユニットには、その要素を基準とする比較を促し、各々の特徴や個性の明確な理解を導く性能があるでしょう。各々の性格の違いはこの楽曲における歌唱の違いにも表れていると思います。

イベントコミュ『Tulip』

奏には、各々の個性を発揮するための自由と秩序の均衡を実現するために動く傾向があると感じるのですが、〈LiPPS〉としての活動においてはそうした傾向が特に強く出ていたと思います。これは一ノ瀬志希宮本フレデリカも登場する後のストーリーコミュ第25話『Nobody Knows』にも通じることです。また、フレデリカが奏の精神を支えてくれる関係は、後の『Nobody Knows』や『渇きの里と輝きの少女達』でも示されます。高いユニット人気だけでなく、他者との関係によって奏の在り方がわかりやすくなったという意味でも、〈LiPPS〉は奏にとって重要な存在だと思います。

ボイス決定時期が比較的遅かったアイドルが多いユニットだったので、当該コミュは端的な人物紹介としての役割が意識されたものと推察しています。「誰かに必要とされたいって思うのは、普遍的な気持ちだと思うから、間違っていないと思うけど」、「個性と個性がぶつかるユニットなんだから、自信を持って自分を見せられる、美嘉のチカラが必要よ」辺りの発言には、奏のアイドルとしての動機や理想の在り方がわかりやすく表れていると思います。

当該コミュにおけるフレデリカの「誤解されがちなんですけど、いい子なんです! カナデちゃん、いい子なんです! よく知らないけど、いい子なんです!」という評はとても秀逸なので、機会があれば、奏を売り込む際に引用したいです。

ストーリーコミュ第22話『Out of the Page』

”したいことをしたいから”という行動原理は[セレクテッド]でも言及されたことですが、奏にとっての望む在り方や目的を定めることの難しさはメモリアルコミュ2にて示された通りです。鷺沢文香は奏が自由に生きていると思っている様子ですが、それは恐らく誤解ではなく、アイドルになってから奏は以前よりも自由に生きられるようになっているのでしょう。

余談ですが、当該コミュにおける、文香による比喩の意味に気付けない橘ありすに対しては違和感があります。ありすにとっての知性や論理は他者と渡り合って生きるための術であり、ゲームや推理小説を好むことには、それらの術を得られる、実益を兼ねられる娯楽という性質が影響していると解釈しているので、文芸的表現に疎いとしても矛盾しないと考えていますが、当該コミュで示されたほど読解や推察が苦手な人物とは思えません。人間の能力は心身の調子や状況によって上下するので、この時のありすは調子が悪かったと解釈すれば決着をつけられなくもないですが。

シンデレラガールズ劇場』単行本第4巻『描きおろし2』

奏がファンから邪なイメージを抱かれることを避けようとするプロデューサーの方針は生真面目で、奏のプロデューサーらしい人格だと思います。

ストーリーコミュ第25話『Nobody Knows』

奏にとって重要なのは意思によって成す振る舞いであり、”本当の奏”なるものがあるとすれば、それは美しさを志向した振る舞いが成す実像に他なりません。本能や感情といった心の原初的領域や、明確な振る舞いとして表現できない類の想いはプライヴェートなものであり、他者によって無思慮に干渉されるべきものではありません。”本当の心”などというものの存在や価値を、傲慢かつ安易に断定して、他者の総合的あるいは対外的な人格を形成する努力を躙ろうとする行為は、極めて忌々しいものです。そうした価値観が示された当該話数を私はとても好ましく思っています。

当該話数には、個性の尊重というテーマも強く感じます。奏が志希や飛鳥と一旦距離を置いたのは、〈理想像を演じる〉という奏の個性が脅かされつつあったからでしょうし、開演前に志希と飛鳥に個性の発揮を促したのは、奏が各々の個性を尊重しているからこそです。各々に個性があるからこそ衝突してしまうこともありますが、各々が個性を棄てた世界にどれほどの歓びや可能性があるのかは、甚だ疑問です。そして、一旦距離を置くという奏の選択は、自由と秩序の均衡を志向した場合に採り得る最良の選択肢であったと思います。奏はメモリアルコミュ1において、プロデューサーの退去を促す際に”酷い言葉を浴びせられたくなかったら”という理由を挙げていますが、これは、人間の心が何によってどのように傷付いてしまうかを断定できない複雑かつ独特なものだと思っているからこその発言であり、相手の心を守りつつ自らの感情を伝えることの困難さは奏の行動原理に強く関わっているものなのだと、私は推察しています。そして、人間を楽しませる意志と才能を兼ね備え、信頼に値する相手でもあるフレデリカが場にいるならば、志希と飛鳥へ自らが直接意思を伝えることは極力避け、フレデリカに対応を任せるという適材適所的選択こそが、奏にとっては最良だったと思います。各々の個性の尊重とは、より優れた個性の持ち主に任せるという選択肢を成立させ得るものでもあるのです。

[カタルシスの華]

イラスト、発言、『思い出エピソード』のどれもが素晴らしく、奏のカードの中では最も好きな内の1枚です。『Jewelries!』のカヴァー楽曲募集に応募した楽曲の詞と通じるものも感じられることもあり、個人的にとても強い思い入れがあるカードです。

特に特訓前のイラストは情景として美しいだけでなく、『思い出エピソード』での表情差分も含めて、髪や顔のデザイン解釈が納得できるものになっているので好きです。『スターライトステージ』の3DCGモデル修正についても、基本カードの表情差分ではなく、こちらの表情差分が基準になることを願っています。

当該カードによってファンに対する奏の想いの強さが具体的に示されたことで、アイドルとしての在り方が明確かつ魅力的になりました。アイドルとしての自らを”ただの興業”ではなく”ロマンス”にしたい、という意志も読み取れますし、アイドルとしての魅力が最も強く発揮されているカードだと思います。

また、「確かなのは、寄り添い合う感覚だけ。そんなシンプルな生き方もできると思わない? あらゆる輝きに、飽きた後だったら」という発言は奏の在り方を劇的かつ端的に示していて、とても気に入っています。暖かくて穏やかな南の島が、平穏と非日常の両方を象徴する場所、あるいは切なさを伴う希望になるような価値観は、とても奏らしいと感じます。

シンデレラガールズ劇場』第700話

相手への信頼が無ければできない余裕の振る舞いです。信頼故に”解放感”が成立するのでしょう。

シンデレラガールズ劇場』第705話

シャボン玉は唇の力加減の器用さが問われるだけでなく、多彩な色が揺らぐことや儚さも特徴なので、奏に似合う小道具だと思います。

『咲いてJewel』

シンデレラガールズ』の楽曲ではありませんが『赤いメモリーズをあなたに』に強い思い入れがあるので、それを彷彿とさせるような激しく儚い、俊龍氏による楽曲を奏達が歌うというだけで、私にとっては極上のご褒美でした。『スターライトステージ』でのMV演出も、舞台デザインやカメラワークが格好いいので気に入っています。楽曲単体だとやや古めかしい雰囲気があるのですが、この楽曲の真価は諸々の演出と組み合わせられた時に発揮されるように思います。アイドルらしい総合芸術的楽曲、ということなのでしょう。

イベントコミュ『咲いてJewel』

全体的にとても面白いコミュでした。『スターライトステージ』のコミュの中でも特に秀逸な部類に入ると思います。

『スターライトステージ』のコミュはそれぞれの連続性を保証していませんが、連続性を見出して楽しむことができる構成が意図されていることは確かだと思います。奏については、他の全てのメンバーと過去のコミュで関わっていることが活かされた物語構成となっていました。奏自身を含む各アイドルの個性を尊重しようとしたことや、仲間達へ向けてきた優しさが、奏への好意として返ってくるという展開およびその説得力は、過去のコミュの積み重ねがあったからこそ成立したものでしょう。「好きっていう感情は人の目を曇らせるの。理解したいなら、盲目になってはダメね」など、奏自らの好意に対する微妙な想いが示唆されますが、それは美しい在り方にこだわる動機にも繋がっているのでしょうし、行動の結果として周囲から愛される様子までもが示された当該コミュは、仲間達と共にあるアイドルとしての奏の1つの到達点だと思います。

『奏』

発売から半年が経ちましたが、私は未だに、貴重な機会を費やすに値するほど適当な選曲だったとは思えません。17歳という年齢を活かしつつ、人間の繋がりの儚さと想いの強さを表現できるという点では奏らしさがありますし、カヴァー楽曲でなければ奏が歌いそうにない楽曲なのでカヴァー楽曲ならではの価値も認められるのですが、やはり私は、中途半端な選曲であるという印象を払拭できません。

余談ですが、『jewelries!』第3弾のカヴァー楽曲においては、納得できない選曲が他にも複数ありました。特に中野有香の『ガッツだぜ!!』は著しく品性を欠いているもので、人物像やアイドル像に相応しくないと考えています。私には中野有香に対しての思い入れは無いのですが、あまりにも酷い選曲だと思いますし、『シンデレラガールズ』シリーズ全体の在り方の問題として、看過すべきではないと考えています。あの選曲を行った、あるいは許した人物に対しては、激しい憤りを感じます。

『Near to You』

個人の在り方とは乖離した全体曲を歌うことはアイドルならではの面白さなのでしょうし、各々のアイドルの人物像に沿った楽曲が与えられる機会が多い『シンデレラガールズ』においては希少性も認められるのですが、Cool版のメンバーにはあまり似合わない楽曲だと感じます。過去の『jewelries!』シリーズに収録された全体曲はそれぞれCuteやPassionに寄った雰囲気だと感じますし、今回はもっとCoolに寄せた雰囲気の楽曲であった方が、多様化にもなってよかったのではないかと思います。私がCool属性を偏愛しているが故の感想かもしれませんが。

『ボーナスドラマ・クール編』

奏が登場するオーディオドラマとしては最長の尺で、各々の活き活きとした様子を堪能できる貴重な作品です。オーディオドラマなどはアイドルの人物像の印象がゲームなどとの媒体とは異なる場合もしばしばあるのですが、この作品では各々の魅力が存分に発揮されていると感じます。CAERULAの和やかな、家族のような関係がとても好きです。

音声が台詞毎に断絶してしまう『スターライトステージ』のコミュではどうしても物足りなく感じるので、今後も何らかのかたちでオーディオドラマが発表されることを願っています。

ストーリーコミュ第31話『Monochrome Memory』

『Nobody Knows』の実質的な続編であり、『スターライトステージ』のコミュにおいては死の概念に最も近接している話数でもあると思います。『スターライトステージ』のコミュの世界の状況や連続性は曖昧ですが、加蓮と特に親しいアイドルはやはりTriad Primusの渋谷凛神谷奈緒なのでしょう。しかし、Triad Primusは高校生らしい愉快で軽妙な関係が特徴のユニットかと思います。死についての物語に直接参加させればユニットの性質が不可逆的に変化してしまうに違いありません。『Monochrome Memory』において加蓮の随伴者に奏が選ばれた理由は、劇中にて加蓮が明言しているのですが、それとは別に、前述したようなメタ的な事情もあると推察しています。また、『シンデレラガールズ』シリーズにおいて死の概念に近接できる性質の人物は限られているとも思います。[追憶のヴァニタス]などでいつか来る終焉への意識を明示したこともある奏は、加蓮の随伴者として最良の人物の1人でしょう。

過去が明示される加蓮と、過去を明示しない奏。閉鎖的な環境で生きざるを得なかった結果、怒りに身を任せるようになった加蓮と、優等生的に務めた結果、他者との関わりの中で何らかの失望を経たらしい奏。アイドルになるまでの経緯は対照的ですが、理想像の体現者として生きようとする意志の強さは共通しています。2人の今後の関係や活躍に、否応無しに期待してしまう話数でした。ちなみに、私が『シンデレラガールズ』シリーズにおいて最も期待しているユニットは、奏と加蓮による〈モノクロームリリィ〉です。物語性、強かさ、凛々しさ、儚さ、瑞々しさなどの様々な魅力を強烈に示すことができるユニットだと信じています。いつかユニット楽曲が制作されることを願っています。

『神撃のバハムート』コラボイベント『渇きの里と輝きの少女達』

魔力で生成した光る花弁の効果で相手の身体感覚を混乱させる技はとても奏らしいと思います。他のファンタジー系作品とのコラボレーションに奏が参加する際にも踏襲してほしいくらいには好きです。

奏は非常に優秀ですし、『シンデレラガールズ』シリーズの作風は基本的に平和なので、通常の作品で窮状に陥ることは極めて稀なのですが、当該イベントでは生死と直結する非常事態における奏の様子が示されました。公式作品において奏がこれほどの窮状に陥る機会は、恐らく今後もほぼあり得ないかと思います。

生死が懸かった状況においてフレデリカを抱えて飛行することは奏にとって異常かつ困難な行為で、集中故に口数も減ってしまうのですが、それでも奏はあくまで平静を装います。その際の美波による「奏さんは頑張り屋さんだと思います… 頑張りを人に見せないところまで含めて」という評は極めて的確で、平時の奏にも通用するものでもあるでしょう。そして、自らを救って困憊しているのに平静を装って補助を拒否する奏に、平時と同様の朗らかな振る舞いを装って手を差し伸べるフレデリカ。『スターライトステージ』のイベントコミュ『Tulip』にて、奏は自らとフレデリカの性格を”正反対”と評していますが、振る舞いによって自らの在り方、あるいは場の雰囲気をデザインすることへの執念はとても似通っている2人です。

絶版作品的なコンテンツですが、奏の人物像について考えるにあたっては非常に重要な情報となります。一応、有志による記録動画が動画共有サイトにて公開されているので、今でも内容を確認できます。しかし奏を愛好する者としては、やはり公式な恒常的公開を望みたいコンテンツです。

ストーリーコミュ第33話『Missing, If you want』

奏は登場しませんが、第25話の続編的内容なので言及します。

高い知能があろうとも、それが生物である限り、行動の根源には本能や感情があります。ただし、それはあくまでプライヴェートな領域ですし、自らによる把握や予測すら不可能な曖昧なものです。そして、志希による本能や感情の扱い方は、奏との対比の材料として用いることができます。奏が直接登場する内容ではありませんが、奏について考える際には欠かせない重要な話数だと思います。

シンデレラガールズ劇場』第762話

単行本第4巻に収録された『描きおろし2 』に対応する内容です。Mobage版内では閲覧できない話数、つまり秘密を知っている者だけが奏の振る舞いに多彩な意味を見出だせるメタ的構造は、奏の在り方を体現していて秀逸です。当該話数において奏が行った解説は、『書きおろし2』における奏の動機を暗示するものでもあると思います。

[天光の乙女]

コスト23というゲーム内性能の到達点に相応しい集大成的なカードだと思います。

プロデューサーを翻弄するような言動を行うこと自体は、プロデューサーと出会った頃から変わらないのですが、当該カードにおいてはプロデューサーを試すような性質は失せつつあり、信頼を前提としたコミュニケーションと化しているように感じます。

特訓後にはアメジストを身に着けていますが、ギリシャ神話におけるアメシストは、アルテミスの侍女が宝石に姿を変えた姿とされています。神話は資料や解釈が多岐に渡るため、神話を参照すれば一意の解釈が成立するということはありません。ただし、これまでの奏のカードを参照すると、〈季節〉([蒼翼の乙女]にて用いられたペルセポネー、[カタルシスの華])や〈夜〉あるいは〈月〉([夜色の花嫁]、[追憶のヴァニタス]、[ミッドナイトレイヴ]、[エンドレスナイト])といった循環する概念が題材になり続けています。[天光の乙女]における奏は青空の下にいますが、アルテミスの文脈の下にあるということは、〈循環〉、〈夜〉、〈月〉といった要素は否定されているのではなく、それらを包括した果てに、青空の下の輝きの中にあるという解釈の方が妥当かと思います。巡る昼夜と季節のあらゆる瞬間を楽しみ、輝き続ける在り方こそが、奏の到達点なのでしょう。

シンデレラガールズ劇場』第792話

心身の自動的な反応に抗って意思の体現を徹底しようとする奏に強い魅力を感じます。

メモリアルコミュ4

アイドルの条件は観客の心を動かすことであると奏に伝えるためにプロデューサーが選んだ手段は、奏がスカウトを受けた際の意趣返しでした。プロデューサーの洒脱な振る舞いや、読解を要求する構成の奏らしさなど、メモリアルコミュ4の中でも特に素晴らしい完成度だと思います。メモリアルコミュ4は各人物がアイドルになる瞬間を示す極めて重要なものなので、奏のものが相応しい内容になるかが不安だったのですが、杞憂に終わりました。

メタ的には、当該コミュにおけるプロデューサーの「アイドルになったな」という評は、2016年を通してアイドルとしての在り方を確立させ、強力な魅力を多数備えた奏に捧げるに相応しい言葉でもあると思います。

『あいくるしい』

元々はまゆと紗枝による楽曲でしたが、詞も曲も奏にとてもよく似合います。特に、均衡を崩してしまうことへの恐れと愛情への欲求の葛藤を、繊細かつ大胆に揺らぐ言語表現によって描いた詞は、奏との親和性が驚異的です。奏が歌うことを予定して作られた楽曲だったとしても私は納得します。素晴らしい楽曲を奏に与えていただけたことに、大いに感謝しています。『シンデレラガールズ』シリーズにおいて最高級に好きな楽曲なので、奏ソロ版の音源の発売が楽しみです。

イベントコミュ『あいくるしい』

『スターライトステージ』における奏は頼れるリーダー的な立場で登場することが多かったので、ゆかりやかな子の独特の性格に苦戦する奏の様子は新鮮でした。奏以外についても、水本ゆかりの本格的な登場や、ドラマ撮影におけるアイドルの仕事ぶりを直接的に確認できることなど、今までに無い様々な価値があるコミュだったと思います。

[あいくるしい]

基本カードにおけるピンク色の音楽再生機器に続き、ピンク色のペンとノートを用いている様子が示されました。奏は私物の小物についてはピンクを好んでいるのかもしれません。

『あいくるしい』に対応して、コーヒーを用いた比喩で甘さと苦さが混ざった味わいについて語ります。コーヒーを用いた比喩は『Monochrome Memory』などでも行っており、奏を象徴する小道具の1つと化しつつあります。これからもちょうどいい味の奏で在り続けてくれることを祈っています。

特訓後の、甘さと苦さ、暖かさと寂しさを兼ね備えた発言の数々、そしてそれらを紡ぐ声はとても魅惑的で美しく、とても気に入っています。穏やかさと儚さが混在するイラストも素敵で、最も好きなカードの内の1つです。

名台詞の宝庫のようなカードなので、好きな発言を羅列すれば全ての発言を網羅することになってしまいそうです。敢えて厳選すると、「明るい光で暴こうとしないで。何もかも明らかになったら、退屈でしょう」、「温もりが当たり前になって、記憶も癒えたら…違う私になるのかしら」、「貴方の綺麗ごとを信用してるの。傷だらけの私さえ、綺麗に飾ってくれる」、「捕まえていて。飛び立たせて。見放さないで。…できれば、そばにいて」辺りに、特に強い魅力を感じます。

おわりに

奏にとっての2016年は、膨大な情報の追加と整理によって人物像やアイドルとしての在り方が確立し、飯田友子氏の演技も凄まじい勢いで洗練された結果、生まれ変わりの1年となったと思います。

従来の奏は、人気は確かにあるものの、1番好きなアイドルとしては選ばれづらいという、微妙な立場のアイドルだった印象があります。しかし、今年確立した魅力が更に発展すれば、今後はより強く烈しく愛されるアイドルになれると、私は確信しています。

この文章の目的は個人的な想いの出力だったので、拙い点も多々あると自認しつつ、書き終えることを至上の目標として作業を進めました。このような文章を最後まで読んでくださったあなたの好奇心や情熱や誠意に、心から感謝いたします。そして、あなたがもしも速水奏に興味を抱いてくださったならば、スカウトチケットでは[エンドレスナイト]速水奏を選んでくださると幸甚です。

 

 

当記事における引用情報の出典:アイドルマスター シンデレラガールズ』シリーズ © 窪岡俊之 © BANDAI NAMCO Entertainment Inc. © BNEI/PROJECT CINDERELLA 『神撃のバハムート』 © Cygames, Inc