伊織 椒のブログ(仮)

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アニメ版『機動戦士ガンダム サンダーボルト』第2話における、原作との主な相違点の確認と感想

アニメ版『機動戦士ガンダム サンダーボルト』第2話の先行配信を観ました。原作との相違点の確認を中心に、アニメ版について考えます。

 ・イオが回想する父の死の情景を赤い画面で表現する

『サンダーボルト』における赤の重要性は、サイコ・ザクを赤色とした原作漫画や、その原作である『ガンダム』第1作の〈赤い彗星〉から踏襲されていることだと思いますが、アニメ版第2話では赤を用いた演出が頻出し、物語の基調として機能しています。イオが赤の記憶を忌避するこの場面には、イオの心情だけはなく、後のダリルの在り方との対比も見出せます。

・イオが父の死の夢から醒める一連の場面のやり取りの変更

 コーネリアス「イオ!!」 「?」 「なんだよ? 変な顔して……」
 イオ「相棒… ラジオ切ってくれ。……その歌は嫌いなんだ」
 コーネリアス「この曲… イオのおやじさんもよく歌ってたな?」
 楽曲の再生はこの時点でも続いている。
 イオ、視線をコーネリアスから逸らしながらコーネリアス… ポケットティッシュあるか?」
 場面が転換するが、楽曲の再生が停止された描写は無い。

コーネリアス「これ、お前のお父さんが好きだった――」 イオの様子に気付いて「うん? 」
 イオ、楽曲の再生を停止して「しみったれた歌だ」
 コーネリアス「そう? 俺は、好きだったよ」
 イオ、視線をコーネリアスから逸らしながらコーネリアスティッシュあるか?」
 コーネリアス「ああ……」

嫌な楽曲ならば、再生の停止はコーネリアスに任せるのではなく、イオが自ら直ちに行う方が自然だと思います。ただし原作のイオについては、嫌いな楽曲であっても自ら停止できない複雑な心情があったと解釈することもできます。

・カーラがダリルの義足の部品を交換する場面の追加

 カーラ「脳が痒くない?」
 ダリル「ああ」
 カーラ「では……」

リユース・サイコ・デバイスの駆動実験の場面の変更

 セクストン「フェーズ6から始める。ダリル・ローレンツ曹長準備よろし? いつものように両足があるつもりで念じるだけでいい。そうすれば脳から足に伝わるはずだった電気信号がMSの駆動系に届く」
 ダリル「…了解ですセクストンさん」
 セクストン「では… カーラ教授(せんせい)始めましょう」
 カーラリユース・P(サイコ)・デバイス駆動実験スタート」
 セクストン、駆動するザクを見ながら「すばらしい! リユース・P・デバイスを使えば、MSはまさに義手・義足の延長だ!!」
 ダリル、過去を回想。涙と思しきものを流す。
 セクストン「システム良好、パイロットに異常なし……と」

→カーラ「記録、開始します」
 ダリル、接続の感覚に呻く。
 セクストン「今日はフェーズ6に入るぞ」
 ダリル「聞いてます。その前にチェックでしょ?」
 セクストン「ああ…… そうだ」
 カーラ、不機嫌そうな表情で「神経伝達、問題無し」
 セクストン「右足を踏んでー。引いて。続いてー。4! 左を。バーの進行速度に合わせて。右から、左を! OKだ! 先生!」
 カーラリユース・サイコ・デバイス、駆動実験スタート」
 ダリル「了解」
 ダリル、過去を回想。涙と思しきものを流す。
ダリルのリユース・サイコ・デバイスに対する心情が、駆動実験における積極的な態度や、後のカーラとの会話における様子によって示されています。

・ダリルの回想は基本的に画面が彩られているが、両脚を失ったことを確認する場面は無彩色で、ダリルの両脚だけが彩られている
ダリルにとっての赤が強調される演出です。

リユース・サイコ・デバイスの試験の後にダリルがカーラへ話しかける場面の改変
 ダリル、通路を向かってくるカーラへ敬礼し、すれ違う際に「…勲章は付けないんですか?」
 カーラ「私にできるささやかな抵抗よ… 戦争なんて大嫌い……」
 ダリル、姿勢を変えずに俯いたまま。

→ダリル、トマトの栽培をしているカーラへ「素晴らしいシステムだ! あれなら、スナイパー以外の活躍もできそうだよ」
 カーラ「今のそれよりましな義足は、いくらでもあるのよ」
 ダリル「知ってる。でも、あのシステムならリアルな脚以上の働きができるだろう?」
 カーラ「また勲章が欲しいの?」
 ダリル「先生も貰ったじゃないか」
 カーラ「……捨てたわ。戦争なんて大嫌いなの」
 カーラ、トマトの赤い実を1つもぎ取り食べて、場を去る。
 ダリル、カーラへ手を伸ばして「あ……」

この場面は第2話の要だと思います。ダリルのリユース・サイコ・デバイスへの心情が示されていることや、ダリルではなくカーラから勲章に言及し、捨てたと明言する改変も重要だと思いますが、カーラとトマトの関係による暗喩には特に感心しました。

トマトには、〈ダリルの乗機の変遷〉、〈血と恩恵〉、〈カーラとサイコ・ザクとダリルの関係〉といった複数の暗喩を見出だせます。

まず、ダリルの乗機の色の変遷は、トマトの生育に伴う色の変化と同じ、緑、オレンジ、赤の順です。また、実ったトマトの、赤色の球という性質は、低重力環境における血液の性質と共通しています。出血を伴うダリルの事故や施術が、何かに恩恵を与えもすることの暗喩と解釈できます。そして、カーラがダリルとトマトに行っていることは〈赤い状態への誘導〉であり、どちらも実りに伴う〈もぎ取り〉によって恩恵が与えられるものです。

トマトという1つの要素によってカーラの暮らしぶりを示しつつ、物語の構造を暗喩する、極めて巧妙な演出だと思います。また、赤色がダリルやカーラに恩恵を与える可能性は、冒頭のイオの回想描写で示されたものとは対照的でしょう。

・イオがショーンを盾にする

 イオ「俺の動きが予測できるなら撃ってみろ! 仲間を殺す覚悟があるならな!」

第1話の挑発の改変に引き続き、ダリルにとってのイオがより凶悪な人物となる、アニメ版独自の演出です。後に自身の右腕を犠牲とするダリルですが、ショーンを犠牲にしようとはしません。

・ダリルが左腕を失う経緯の改変

イオとの戦闘にてザクの胴をビームサーベルで突かれた際に、ダリルの左腕側から出血する描写があるため、この際に左腕を負傷したと解釈できます。すると原作とは異なり、イオによって直接左腕を奪われたことになります。また、ダリルのザクが照明弾を放つ際に用いられるザクの腕が、原作の左腕から、右腕に変更されています。モビルスーツが人型の装置である以上、操縦者の生身の振る舞いの性質は操縦に反映されるはずです。照明弾を放って操縦席を庇うという咄嗟の行動に右腕を用いたことで、ダリルの右腕の重要性と、後のダリルの選択と意思が強調されています。

・口数が少ないグラハム。

やはり、アニメ版のグラハムは原作とは異なる性質の人物とされているようです。私はアニメ版の老獪なグラハムの方が断然好きです。

・ダリルの右腕への施術の描写の追加。

極めて重要な追加でしょう。施術直後のダリルとカーラの心情を知ることができますし、過去の事故の後のダリルの様子と比較すれば、物語を通じて変化したダリルの在り方を確認できます。例えば、左腕を失ったことを知った際のダリルの慟哭や、その後艦長が訪れてきた際の泣いた形跡と比べると、右腕の施術に際するダリルの表情は、終始穏やかなものです。

また、ダリルの右腕にメスが通ることで血液の球が次々と浮かぶ描写は、先のトマトによる暗喩に対応するものです。酷な場面ですが、トマトの暗喩による希望の仄めかしが詩的で美しいです。ちなみに、松尾衡監督の過去作『革命機ヴァルヴレイヴ』においては、ある残酷な情景を美しく描こうとする試みがあったそうなのですが、それを思い出しもしました。

次回は遂にFAガンダムサイコ・ザクが対決するようです。原作では、ダリルは右腕の処置に伴ってイオと同じ階級へ昇進しますが、これは2人が同格になったことの暗喩だと思います。同格の2人による戦闘は、第2話までの戦闘を超える凄まじいものとなることでしょう。とても楽しみです。

 

 

当記事における引用情報の出典:機動戦士ガンダム サンダーボルト』 © 太田垣康男矢立肇富野由悠季/小学館 ©創通・サンライズ