伊織 椒のブログ(仮)

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アニメ版『機動戦士ガンダム サンダーボルト』第1話における、原作との主な相違点の確認と感想

 

アニメ版『機動戦士ガンダム サンダーボルト』第2話の先行配信が開始しましたが、第2話を観る前に、第1話における原作との相違点を簡素に確認しました。主要と思しきものを挙げます。

 原作で複数回行われた描写に関する差異

・ダリルが歌わない
・登場人物の下品な振る舞いの削除
・サンダーボルト放送局のアナウンスの削除

原作から削除された要素

・イオ「やべえ… やっぱ超楽しい……」
 イオ「あ… なんか嫌な予感…」(台詞は削除されたが、ビームに気付く描写はある)

作戦行動中のイオの緊張感が強調されました。イオに限らず、軽薄な台詞や描写は削除される傾向があるようです。

・イオ「これは… 死んだ仲間への弔い…」

”同胞”(原作では”同胞団”)を疎ましく思っているイオが仲間への弔いの意思を素直に発声することは不自然でしょう。弔いの意思があっても、黙って行動しそうなものです。実際に、アニメ版では狙撃装置の破壊を無言で行う変更がされました。また、台詞が整理されたことで、物語の要であるイオとダリルの遭遇の場面が洗練されたとも思います。

・帰還後のイオとグラハムの対面の削除
・グラハムの台詞の削除

グラハムについては、口数が減っただけでなく、クローディアを気遣うような振る舞いもあり、原作よりもかなり冷静で、余裕がある人物になりました。イオやクローディアの若さとの対比が強調されたとも思います。原作との差が特に大きい登場人物でしょう。

原作から変更、追加された要素

ムーア同胞団のMS操縦士の出撃前の生活の描写
・イオの出撃前のイオとコーネリアスのやり取りの変更
イオとコーネリアスが互いの関係や任務に慣れていることを前提とし、相応しくない描写は削除されたのだと思います。同時に、イオの人格や世界観を示す描写は原作より増えています。

・イオ「同胞団、ね…… まったく… 生まれた土地は …どこまで俺を縛るんだ?」
「”同胞”ね…… 全く、生まれた土地はいつまでも俺を縛りやがる」

イオにとっての問題は”同胞団”という組織ではなく”同胞”そのものでしょうし、「どこまで」よりも「いつまでも」の方が、ムーア近辺での任務に臨むイオの心情に相応しいはずです。また、”縛りやがる”という言い回しは、イオの心情をより深刻なものとしていると思います。そして、この場面のイオの閉塞感は後のガンダムによる解放感と対ですから、閉塞感を強調することはガンダムの存在を強調することでもあります。

・イオ「…モビルスーツは大好きだぜ… 宇宙(そら)も戦場も… ここは自由だ…!!」「サンダーボルト宙域… ここにはフリー・ジャズがお似合いだぜ」
「サンダーボルトには、やっぱフリー・ジャズだ!」「モビルスーツは大好きだぜ。宇宙(うちゅう)も戦場も。ここは自由だ!」

これもまた、イオがサンダーボルト宙域の任務に慣れていることを前提とした変更だと思います。アニメ版では全体的に、登場人物の振る舞いが生理的に自然なものへ変更されていると感じます。

・ダリルが狙撃を終了する経緯が変更され、ダリルは眠らず、フーバーへの注意勧告もダリルが行う。

・イオ「帰り道は死角を選んでゆっくり逃げるさ」「ヘイ! 義足野郎、おまえがエース・スナイパーらしいが… 音楽の趣味は平凡だな、ガッカリだぜ」
 ダリル「運がいいだけの男は口が軽い… この宙域から脱出できても。次は必ず仕留めてやる。…俺の義足を笑ったな… ダリル・ローレンツ曹長だ。おまえを… いつも狙ってるぞ!」
 イオイオ・フレミング少尉。常にスピーカーをONにしてな。ジャズが聞こえたら… 俺が来た合図だ」
→イオ「よお! お前がスナイパー部隊のエースらしいが、音楽の趣味は平凡だな! ガッカリだぜ」
 ダリル「運がいいだけの男は口が軽い…」
 イオ「義足野郎だけに、遠くからこそこそ撃つのがお似合いだ」
 ダリル「……っ! 俺の脚を嗤うのか!」
 イオ「お前らの射点位置は把握した。帰りは死角を選んでクルージングだ!」
 ダリル「今度会った時は逃さない! 次は必ず仕留めてやる…… 俺はダリル・ローレンツ曹長、お前をいつも狙っているぞ!」
 イオイオ・フレミング少尉だ。ジャズが聴こえたら、俺が来た合図だ」
 イオ、無言で狙撃用装置を破壊。

物語の要であるイオとダリルの遭遇は、特に入念に変更されています。まずイオの挑発ですが、ただまくし立ててるのではなく、趣味を貶してから身体を侮辱し、相手が憤りを露わにしたことを確認してから「帰りは死角を選んでクルージングだ!」と挑発を重ねるという、順序立てられたものとなっており、義足への言及もより侮辱的になっています。イオの挑発能力が原作よりも高まっていて、両者の感情と関係も原作とは違うと思います。

一方、ダリルについても、義足を侮辱されたことによって感情が露わになる、という順序によって価値観が強調されています。続く「俺の脚を嗤うのか!」もダリルの価値観を表す改変ですが、こちらはアニメ版第1話のあらゆる変更の中でも最も重要だと思います。アニメ版のダリルにとっての義足は「義足」ではなく「俺の脚」なのです。そしてこれはサイコ・ザクとの関係にも影響する変更です。後の場面のイオによるガンダムへの言及から考えると、イオとガンダムの関係は〈人間と道具〉という性質が強いものだと思うのですが、ダリルと義肢の関係は〈人間と道具〉という性質よりも、〈自分の一部〉という性質が強いものでしょう。これらの関係が第2話以降でどう示されるのかは、特に楽しみにしていることです。

・イオ「俺は魅入られたのさ… 戦場で輝くモビルスーツって魔物に…」の場面でガンダムを映すカメラ位置が下へ変更され、顔が明確に映り、ガンダムから見下されるような角度になっている。

原作漫画では挿話の最後のページのため、次回への期待を煽る機能が必要な場面(いわゆるヒキ)だったのでしょう。ガンダムの目が隠れる角度での描写には、期待を煽る意図があったのだろうと想像しています。しかしアニメ版におけるこの場面は挿話の最後ではありませんから、ガンダムの目を隠す理由は失われ、イオとガンダム、そして鑑賞者とガンダムの関係を強調する演出に変更されたのではないでしょうか。

・イオ「最高だ! 欲しかったのはこういう力なんだ! ガンダム…… 俺の力になれ」

原作第6話の「ガンダム… 俺を… 夢中にさせてみろ…!!」とは対照的な台詞です。

 構成の細かい変更やダリルの食事など、細かい相違点も多いのですが、際限が無いでしょうから、今回はこれだけにしておきます。

 

 

当記事における引用情報の出典:機動戦士ガンダム サンダーボルト』 © 太田垣康男矢立肇富野由悠季/小学館 ©創通・サンライズ